バンブーサンガの来歴
池田 久代
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バンブーサンガは、ベトナムの禅僧ティク・ナット・ハン師がはじめて日本で一般人を対象としたリトリートを実施された平成5年(1995)の7月に始まりました。バンブーサンガは、ナット・ハン師の日本リトリートとともに歩んできたといっても過言ではありません。今や世界中で実践されているナット・ハン師による仏道修行の原点「マインドフルネス」が、20年前にはじめて私たちの元に届けられたのです。
第一回日本リトリートは、1994年に中野民夫代表と島田啓介事務局長によって招聘プロジェクトが立ち上げられ、当時日本ではほとんど無名であったナット・ハン師の日本デビューに先駆けて、1995 年の4月来日に間に合わせるために、六冊の邦訳書が出版されました。その中の一冊が『微笑みを生きる』(池田久代訳、春秋社1995)で、私はこの出版をきっかけに、今日までナット・ハン師の本の翻訳を手がけてきました。
ナット・ハン師一行は、阪神淡路大震災やオウム真理教事件で日本中が震撼としていた1995年4月、開港したばかりの関西空港に降り立たれ、地球市民企画室、わくせいサンガ、ヨーガヴァーシティなどの関西チームの協力で、大坂講演会(法話)、比叡山一日リトリート、京都出家者の集いなどが実施されました。第一回目の日本リトリートは、神戸、大阪、京都を経て、信州、鎌倉、東京へと東漸し、私たちはナット・ハン師から直に「アート・オブ・リビング」の教えーマインドフルネス(気づき)と幸福な生き方(慈悲のこころ)—を伝授されました。
平成23年(2011)に第二回目の日本リトリートが企画され、関西ではバンブーサンガが中心になって、花園大学での法話や妙心寺の河野大通老大師猊下(当時)とナット・ハン師の対談等を企画しましたが、この年の3月11日に起った未曾有の東日本大震災とそれに伴う津波、福島原子力発電所事故による放射能汚染のため、リトリートは開催直前に中止されました。
そして本年(2015)の4月-5月に悲願の日本リトリートが実施され、成功裏に幕を下ろしました。残念ながら、ナット・ハン師は病気のために来日が叶いませんでしたが、フランスのプラムヴィレッジや世界中から師の高弟たちが結集して、素晴らしい富士山リトリートや法話セッションが実現しました。
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さて、この20年間のバンブーサンガの活動は次のように行われました。ナット・ハン師の元での学びのあと、私たちは目覚めたばかりの幼子のように一途に、熱心に、師の教えを守り育て始めました。日本リトリートの実施に参画した5人のメンバーが毎月1回のペースで、プラムヴィレッジ方式の練修(マインドフル・トレーニング)を始めましたが、サンガの軸足が定まるまでの一年間は、5人の小さなコアメンバ—が修行に専念しました。タイ(ナット・ハン師の愛称)がベトナム語で書かれた『ブルーミング・オブ・ア・ロータス(蓮華の瞑想)』(Blooming of a Lotus, translated by Annabel Laity, Beacon Press, 1993)をテキストとして、メンバーの一人であった池田が毎回一章ずつ邦訳を作り、車座に坐って鐘を招き、ガイデッド・メディテーション(指示による瞑想)、シィティング・メディテーション(座禅)、ウォーキング・メディテーション(歩く瞑想)、ティー・メディテーション(お茶の瞑想)、テキスト・リーディング(タイの本の輪読)、ダルマ・シェアリング(分かち合い)を実践しました。
この後数年経って、私たちの瞑想の力が十分に育ってきた頃から、外部の瞑想希望者を受け入れて、ともに練修を始めました。クリスティーン・F・里と私は、日本人は言うまでもなく、日本に住む欧米人や短期滞在者をサンガの友として迎え、日本語と英語でサンガを続けました。多いときには20名をこえる仲間がともに坐り、少ないときには、たった二人が対面して小さなサンガをもった事もありました。また、「デイ・オブ・マインドフルネス(マインドフルの日)」を月に一度くらいもうけ、タイと縁のあるゲストを招いて練修をしました。シスター・ジーナ、シャンタム・セツ、シスター正念、ブラザー道治、ベトナムのフエにあるタイリン寺からティク・ヌ・チャン・ホア・ニエム尼僧、プラムヴィレジの尼僧たち、フランスのカトリック修道院のフィリペ神父などをお迎えして交流サンガをもった事もあります。この20年、ヴェトナムの若者、インドのビジネスマン、オーストラリアやカナダの留学生や教員など、数えきれない仲間たちによって、バンブーサンガは支えられてきました。
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今年の日本リトリートの実現によって、沢山のサンガ(アート・オブ・リビングを目指す仲間)の種が蒔かれました。日本のあちこちにベビーサンガが生まれています。そして新しい日本のサンガは、国境を越えて、世界のサンガと繋がり、交流しようとしています。バンブーサンガの未来が「ともに気づき、ともに幸福を生きるサンガ」の力によって育まれ続けることを祈ります。